作家生活十周年を迎える西加奈子さんが、初の上下巻小説『サラバ!』を発売しました。EDIT LIFEのこけら落としとして、『サラバ!』に登場するモチーフを描いた絵画展を開催してくれている西さんに、新刊のこと、絵画展のことを語っていただきました。また、オンラインストアでは一点ものの絵画をはじめスペシャルなアイテムを販売します。
——新作の長編小説『サラバ!』は上下巻の大作ですね。
N:今年で作家デビューして10周年を迎えるんです。それで、この10年間で作家として得たものを全部入れようと思って、今までで一番長いものにしようと。ジョナサン・レセムの『孤独の要塞』みたいに、一人の人間の半生を丁寧に書きたかった。ある男の子の0歳から37歳まで。イランで生まれて日本に帰って…経歴だけはウチと一緒なんですけど、でも全く違う人の話を。
——西さんの作品は男性が主人公の物語も多いですが、何か思い入れがありますか。
N:ウチはもともと男の子になりたかったのね。プロレスとか『北斗の拳』とか好きやし、男の子として青春を送りたかったという思いを小説で追体験しているんだと思う。もちろんどんどん時代も変わってくると思うけれど、女の子ってやっぱり男の子から「選ばれ」がちというか。体育の授業の後にフルチンでズボン履いて…とかアホなことをあんまりできへんでしょ? あとは、女の子がムリめな男の子に告白してダメやったとしても笑われへんけど、逆だったら笑える。そういうのがすごく良いなって。そういう無邪気さ、アホができるのが超うらやましい。これからの時代は絶対に女同士でもそういうことができるようになると思うけど、まだ私たちの世代では隠されがち。男の子の話を書きたがるのはそういう理由かな。あとしかも男の子は女の子にわからない苦労もある。そういうのを書くのもチャレンジとして面白いですし。
西加奈子さんの新作『サラバ!』の表紙には、EDIT LIFEで展示されている絵画がモザイク状に並べられている。
——前作の『舞台』も主人公が男の子で、彼の自意識みたいなものがテーマになっていました。
N:今回の『サラバ!』の主人公もすごく恵まれているけれど、自分の意識で不自由するタイプ。だから『舞台』の彼とちょっと似ている部分もありますね。でも自意識って面白くないですか? 自意識は自分の枷というか、自分のことをすごく厳しく見すぎている気持ちじゃないかなと。でも、「いつも自分を見ている自分がいる」ということを、「敵」じゃなくて「いつも自分が応援してくれている」という形に変換すると、すごい楽になるなって気づいて。私自身、以前はファンの人に「小説めっちゃ良いですよね」と言われると、何となく恥ずかしいというか「いやいやそんな…」と答えなきゃあかんと思い込んでて。ここで普通に「ありがとう!」って返したら、「えっ、この人まともに受取ったわ」とか後でバカにされるかもしれへん…とか勝手に思ってて。それが、今では「いいですよね!」「せやろー」って(笑)。そう言えるようになった。小説を書く事でどんどん解放されて、自分が好きになってきた。
——「バカにされるかも知れないけれど、構わない」と思えるようになったわけですか。
N:そう、そういう風に他人のことを笑うよりも、笑われている方がかっこええやん、と。それはプロレスを見て思ったんですけど。一生懸命、やじられたりしながら生きているのを見ているときの感動、そのかっこ良さ。ウチはその感動する感じを小説で書いている気がしますね。かっこ悪いけれど、これでええねんって。他人のアラを探して笑うみたいな、そういう「ツッコミ」文化って苦しいんですよ。だから、ウチはもともとツッコまれる側にいる人を書くことが多いし、もともとツッコむ側の子だったのが、最後はツッコまれる側になって、そのことが怖くなくなるという話を書くことが多い。ツッコまれる、バカにされることの格好良さ。だからプロレスは自分の小説の中でめっちゃデカいんです。その一方で、自意識ってそんなに悪いものではないよっていう気持ちもあって。実はすごくキュートなものでもあるということも書きたい。屈託なく誰に対しても同じテンションで接する人が、ありのままで正しい人間の姿なんだと思ってしまったら、それは不自由やなと思って。自意識も込みで、ありのままの自分なんだ、と思うようになれたらいいですよね。
絵画展『サラバ!』の展示の様子。
西さん自身が1枚づつ、絵を飾ってくれました。
——今回、『EDIT LIFE』ギャラリーで展示された絵は『サラバ!』の表紙に使用されたものですが、10種類以上のモチーフの絵が、バラバラにしてコラージュされてあります。どうしてこういう手法に?
N:今回の絵のテーマは、小説の中で主人公の男の子がそうした自意識であるとか色々なことに揺れていて、自分が何を信じていいかがわからなくなってしまう、そういった「信仰」について。自分の信じるものを自分で見つけよう、そして自分で解体しようと。例えばある宗教を信じるというのも、「“信じなさい”と言われたから信じる」という場合、本当に自分がそれを信じたいのか、どうなのかなって。絵のモチーフはキリストであったり、小説の中で登場人物が信じる色々なもので、それらを全部描いて、バラバラのピースに分解して、また自分でもうひとつの絵を作るっていうのを考えたんです。
力強く、絵を貼る西さんの後ろ姿。男前です!
9月後半は、絵画をバラバラにして展示。
——小説のテーマが反映されているんですね。「信仰」というテーマに関心が向かったのはどうしてですか。
N:うーん、何でかなあ。小説には私が子どもの頃にいたエジプトも出てきますが、実際にエジプトで革命が起こったということもあるし…。子どもの頃は、コプト教徒の友達もいて、宗教なんて関係なく遊んでいたけれど、今ニュースで見ていたら、コプト教徒の教会が襲われたりとかしてるわけですよね。それって何なんだろうと。宗教を信じることって良いことのはずなのに、なぜそんなことになるの?とすごく思って。お金もそう。金って究極の「信仰」でしょう。でもその信仰なんて実はものすごく脆いものでしかない。ただの「紙切れ」をこれだけ神様にできるんやったら、私たちだって自分なりの神様を作ることだってできる。今目の前にあるこのストローが神様でもいいやん、って。それは何なんだと。それを強く考えたかった。
富士山を描いた作品。
このモチーフはもしや!?
キリストはTシャツ化も決定。
——西さんは小説の生産性が高いですね。今年も書きおろしを2冊上梓されて。
N:書くのが速い方だとは思う。ウチはプロットは立てないんですよ。メモもとらない。本当にパソコンを開いた時から始まる、全部。今回は特に「小説の不思議」をたくさん体験させてもらった感じですね。例えば、何気なく使った単語が後ですごく重要なワードになったりする。作家にとってのクライマックスって、きっとそういう所っていうか。地味なんですけど。家で一人で書いていて、もう座ってられなくなって、部屋を歩いて窓を開けて「ふー!」って(笑)。たぶんミュージシャンとかならきっと何万人もの前でジャーン! ワー!ってなれるんやろうけど。でも、とにかくその瞬間は「全能感」というのかな。それも信仰と似ているんですけど。自分がその作品の神様であることには変わりないし。その瞬間があるから書けるというか、とにかく超楽しいんです。だから書くことって意外と身体性があるんですよね。全然違うようだけれど、実は身体と密接。
——そうですね、良い悪いというよりもその人自身が出てしまう。
N:そう。なんか本当に「行間」とかって何やねん、って感じですけど、行間はやっぱりあるというか。書いた人の「気配」というものがあって、だからこそめっちゃ面白い。小説って「これは私のことじゃないんですよ」という建前だけど、やっぱりそうなっちゃいますからね。今度、作家の山崎ナオコーラちゃんと小林エリカちゃんと3人で『EDIT LIFE』でトークショーをするんですけど、3人とも小説の装画も描いているんですね。でも、たぶんみんなの絵をいっせいに並べたら、どの絵を誰が描いたか、もし画風を一切知らなくても、絶対にわかると思う。
10月某日、それぞれの絵が登場した。
猫、レコードなど、小説に登場したモチーフが。
主人公と友人との、思い出の景色も。
——3人の絵を初めて見る人がいたら、ぜひ試してみて欲しいですね。山崎さん、小林さんとはプライベートでも仲が良いそうですが、同世代の作家が自由に交流できる環境があるのは良いですね。ヘンなこだわりや垣根がないというか。
N:そう、それが何でそれができるかっていうと、ひとつは不景気やったからやと思うんです。そんな売れへんから(笑)、作家だとか言ってもそんな偉そうにもできないですしね。それはすごく良かったねってみんな言ってます。もし、チャチャチャッて書いた小説がすぐに100万部売れてしまったりするような世界だと、やっぱりこうした人間関係とはまた違ってきてしまうんだろうし。ウチはどっかに「売ってもらっている」っていう感覚があるほうが心地いい。もちろんそこをストロングスタイルで『PRIDE』とかシュート的感覚でバリバリやっている人もかっこいいですよ。色々な人がいるからいい。
——小説も絵も両方やるというのもそうだし、表現する人にとって、どんどん自由な時代になってきている気がします。
N:うん、楽しいですよ。「楽しい」と言えることが大切というか。特に作家は昔から「書いてるのが楽しいとか本物じゃない」みたいな雰囲気とかもあったかもしれないですけど。「苦しめ、苦しめ!」みたいな。でも、今はそれも平気で言えるようになった。なんか時代も良いし、歳をとるのも良いなあと。だから、すごく毎日楽しい。これからもめっちゃ楽しみ、って言いたいです。
PHOTO:SATOKO IMAZU
TEXT:KOSUKE IDE