岐阜県美濃市に根付く本美濃紙の手漉き技術は、国の重要無形文化材であり、2014年には埼玉県の細川紙、島根県の石州半紙と共に、ユネスコの無形文化遺産にも登録された技術。美濃和紙製品はたくさんありますが、原料や製法、製紙用具など細かな指定要件を満たしたものだけが本美濃紙と指定され、その割合は美濃和紙全製品のうちの約1割ほどなのだそう。岐阜への買い付け旅のなかで、私たちはこの貴重な本美濃紙づくりの現場を見学させていただく機会を得ました。
訪ねたのは、鈴木竹久さん、豊美さんご夫婦が営む美濃竹紙工房さん。鈴木豊美さんは約20年前に義父の竹一さんから家業である紙漉きの技術を受け継ぎ、ご主人・竹久さんは定年を機に奥さま・豊美さんに弟子入り。今はふたりで伝統的な技術を守りながら本美濃紙づくりを行っています。今回は紙漉きから屋外に紙を干すまでの行程を見学させていただきました。
鈴木竹久さん、豊美さんご夫婦。天日干ししている本美濃紙の前にて。
本美濃紙の原料は、クワ科の植物・コウゾ。和紙の材料となる繊維を取り出すために、時間をかけて手仕事が行われます。まず、外皮を取り除いて乾燥させたコウゾの内皮を2日間ほど水に浸し、アルカリ性の溶液と共に大きな釜でグツグツと煮ます。その後、コウゾを水で洗いながら、繊維の1本1本に外皮や筋が残っていないか目と指先の感覚で確認。細かなちりとりを行います。「大変な作業なんですけど、ここで手を抜くと紙に出ます。昔は井戸端会議のような雰囲気で女性が集まり、正座して行っていました」と竹久さん。その後、叩いて繊維を細かくほぐす叩解(こうかい)という作業を経て、出来上がったのがこちら。やわらかな繊維の固まりです。
ふわっとほぐれる柔らかな繊維。
この繊維の固まりを水に入れると溶けるようにほぐれるのですが、繊維を水中で均等に浮遊させるため、そして繊維同士を繋げるために入れるのがアオイ科の植物・トロロアオイの根からとれる粘りのある液体。
トロロアオイから抽出される粘液。驚くほど粘る!
「このねり(粘液)を加えた水は重いんです。6〜7カ月の子どもを抱っこしているような感覚ですね」と話しながら、豊美さんはリズミカルに漉舟(すきぶね)と呼ばれる大きな木製の水槽の中を竹棒で混ぜていきます。原料と水、ねりの割合や混ぜ方で紙の地合(じあい)に差が出るため、美しい本美濃紙を作るためにはこの作業もとても大切。「紙の地合がいいことを何かに例えるなら、雪が降り続いて固まった地面に、朝起きると新雪が降っていたというイメージでしょうか。一面に隙間なくビッシリと降っているのではなく、薄くつもっているところ、厚くつもっているところとムラがあるでしょう? 紙全体にきれいなムラが出ることを地合がいいと言うんです」と、竹久さんは話してくれました。
そして紙漉きの作業に入ります。「横揺り、縦揺りを組み合わせて漉いていくのですが、紙の厚さを揃えるためには漉舟の中の状況を見て、揺らす回数やリズムを都度調整する必要があります。私のリズムとキャリアの長い師匠(豊美さん)のリズムは全く違うので、これが「腕」と言われるものなのでしょうね」と竹久さん。通常の和紙は縦揺りのみで漉かれるため、横揺りを加えるのは本美濃紙ならではの技法なのだそうです。
縦揺り、横揺れを組む合わせることで、繊維が整然と絡んだ美しい和紙を漉くことができる。
この日、漉いていたのは文化財の修復用紙や表具用紙として使われる薄美濃紙。少しでも気を緩めると簡単に破れてしまいそうなほど薄く漉かれた紙は、漉き上がるたびに1枚ずつ、慎重に重ねられていきます。
わずか0.6mmの竹が3000本編み込まれた簀。つなぎ目を斜めに切って合わせた「そぎつけ」という手法でつくられている。
こちらで薄美濃紙80枚ほど。
一定枚数が漉き上がったら、木製の圧搾機で紙を挟み、少しずつ圧力を加えて紙に含まれている水分を抜いていきます。
水分を抜く作業は2〜3時間かけて少しずつ行われる。
水気を切った紙は、木目の少ないトチの木でできた大きな干し板に張り付けられます。紙に傷やしわがつかないように、馬のたてがみでできたブラシで紙の表面を撫でながら慎重に、慎重に。
ブラシも美濃産のもの。
干し板に張り付けられた紙は、屋外で天日乾燥させます。「紙漉きの作業自体に注目が集まることが多いんですが、この天日乾燥も本美濃紙にとって重要な行程。日光で紙が自然に漂白されて、上品な艶と色合いを持つ紙ができるんです」と豊美さん。
工房の庭にズラリと並んだ干し板。まぶしいほどの白さ。
豊美さんは紙漉きを始めて約20年ですが、ご自身のことを「まだまだ半人前」と話します。「今日は大丈夫と思いながら紙を漉いても、できあがった紙を見たら『え、こんな紙ができてしまった!』ということもあります。毎日、毎日、1枚、1枚なんですよね、本当に」。これを聞いた竹久さんも「親父もずっと『何遍漉いても、いつまで経っても、なかなかいい紙ができない』と言っていました。生涯なんでしょうね」と話してくれました。「ちょっと気障っぽいかもしれないけど、和紙は光を『灯り』に変える力があると思うんです。そのあたたかさを守るために、昔ながらの技術を伝承していければと思っています」。
これまで手漉き和紙と聞くと紙漉きの作業をイメージしがちでしたが、紙づくりを見学させていただいて、紙の材料をつくり、漉いて、できあがるまでの行程すべてに細やかな気遣いと愛情が織り込まれているように感じました。美濃竹紙工房さんは現在、一般の方が美濃和紙の魅力に触れることができるよう、手漉き和紙のしおりや葉書、名刺などの制作も始めています。まだほとんど市販されていないそうですが、『楽食住』展では実際に手にとってご覧いただけます。この機会にぜひそのあたたかみに触れていただけると嬉しいです。
(写真:山崎智世、編集:松尾仁、文:宗円明子)