地方創生のキーパーソンにインタビューを行う『MAKERS MAKE A CITY 〜ものづくり、まちづくり〜』。前編では広島県の尾道を中心に、観光事業で雇用を生み出すプロジェクトを展開する「ディスカバーリンクせとうち」代表の出原昌直さんに、会社設立の経緯と代表的なプロジェクト「ONOMICHI U2」についてお話を伺いました。
後編では、地域の人々に履いてもらうことでストーリーのあるユーズドデニムを製作・販売する「尾道デニムプロジェクト」や、地域のリソースを生かして街全体を学びの場とする「尾道自由大学」の運営を担う小川香澄さんも交え、設立から3年目を迎える同社が今後取り組んでいきたいプロジェクトの連携についてお話を伺います。
古き良き建築物を、未来に継承する。
前回ご紹介したサイクリストのための複合施設「ONOMICHI U2」をはじめ、歴史ある建物を甦らせた滞在施設「せとうち 湊のやど」、シェアフロア「ONOMICHI SHARE」など、さまざまなプロジェクトを展開しているディスカバーリンクせとうちは、尾道だけでなく鞆の浦でも事業を行っています。
鞆の浦は西日本の海上交通の要所として古くから栄えてきた港町。スタジオジブリの作品『崖の上のポニョ』の舞台になったことでも知られていますが、この街でディスカバーリンクせとうちが着目したのは歴史ある街並み。元々は鞆の浦名産の薬用酒「保命酒」や、瀬戸内海の真鯛を味噌などで煮込んで作る「鯛味噌」の販売店だった江戸時代後期の建築物「肥後屋」をリノベーション。現代版にアレンジした鯛味噌を中心とした食品を販売しています。
江戸時代後期の建物を再生した「鞆 肥後屋」。
鯛味噌を用いた巻き寿司や生海苔の佃煮なども販売。
地域に残る古き良き建築物を再生したいという思いは、前編でも少しご紹介した滞在施設「せとうち 湊のやど」にも共通する視点。歴史ある建物をそれぞれ異なる建築家がリノベーションした町家宿は、昔ながらの面影が残る一軒家に暮らすような感覚で宿泊できることだけでなく、地元を知り尽くしたスタッフによる街案内も好評のようです。
せとうち 湊のやどは、かつて地域の豪商が暮らしていた洋館を用いた「島居邸洋館」と、漆喰塗りの白い土塀に囲まれた「出雲屋敷」の2軒で展開中。写真は「出雲屋敷」の煎茶室。一棟貸し切りも可能。
初めての人を受け入れ、協力してくれる街。
観光を切り口に宿泊施設、飲食店、セレクトショップ、アパレルと幅広い事業を展開するディスカバーリンクせとうち。現在所属している20名弱のコアメンバーのうち、ほとんどが未経験の分野の仕事を担当したため、各プロジェクトの立ち上げには苦労もあったそうです。
東京から尾道に移住し、「尾道デニムプロジェクト」の立ち上げから企画・広報を務める小川香澄さんも、そのひとり。現在は「尾道自由大学」の教頭も兼任する小川さんは、「苦労はあるけれど、同時に、尾道で世界への発信も念頭に新しい物事に挑戦することの魅力も体感できる」と言います。短大卒業後、タイ北部で日本語講師のアシスタントや日本で広告の企画営業、インドでホテル兼ゲストハウスの立ち上げに携わった彼女は、震災を機に、東京を拠点にボランティア活動を行うなかで、生きることや暮らすこと、日本について考えるようになったのだそう。都会での暮らしから地方での暮らしに興味を持ち始めたときにディスカバーリンクせとうちのことを知り、周囲からの後押しもあって2012年10月、同社設立の4ヶ月後に入社しました。当初は広報・PRを担当していたため、東京と尾道を行き来する日々。後に、持ち前のフットワークの軽さで尾道に移住してきたのですが、地元の人々との繋がりが鍵となる尾道デニムプロジェクトも担当することになりました。これは地元の人々に1年間、ワークパンツとして実際にデニムを履いてもらって「本物」のユーズドデニムを制作し、デニムの産地の魅力、街の魅力を発信するというプロジェクトです。しかし、小川さんが参画したのはデニムを履いてもらう人を200名以上見つけなければいけないというタイミング。移住してきたばかりの彼女にとっては、かなりハードルの高い仕事です。
小川さん:『デニムは履く人によって個体差が出るものだから、いろんな世代、職業の人に履いてもらいたかったんです。でも私は移住したばかりで尾道の人脈がない。途方にくれますよね。そのことを地元のキーパーソンだと言われている30代の事業家の方に相談したら、尾道にある同世代のコミュニティの中心にいる仲間や寺の住職さん、観光協会の方など10名ほどを紹介してくれて、その方たちの協力のおかげで漁師さんや農家さん、カフェの店員さんなど、さまざまな職業の協力者約270名にデニムを履いていただくことができました。尾道の魅力は、初めて出会った人でも信用したらすぐに大切な人や場所を紹介してくれたり、プロジェクトに賛同したら積極的かつスピーディーに協力してくれること。私はこれまで日本や海外で仕事をしてきましたが、尾道の人の街への愛や、人と人との繋がりの力には驚かされました』
「尾道に来たら、向島や因島など、近くの島にまで足を伸ばしてください」と小川さん。
広島・備後地方は日本有数のデニム産地。その認知拡大のために始まった尾道デニムプロジェクトには、備後地方の職人技が詰まったデニムブランドが協力。地元のデニム洗い工場も参画し、地元の人々と民間企業を巻き込んで、プロジェクトは進んでいきました。
小川さん:『プロジェクトの立ち上げ当初は、夜中の3〜4時まで企画書やHPを作るためにパソコンと向き合っていて、東京にいた頃と変わらない生活をしていました。プロジェクトにまつわるすべての作業をやらなければならないし、スタートアップで前例のないことをやっているので「このデニム、本当に売れるのかな」「どう発信すれば受け入れられるんだろう」と不安になることも多かったんです』
実際にデニムが販売されるまで1年間かかった尾道デニムプロジェクト。利益がすぐに出ない事業なので、ときには経営陣から「本当に進めて大丈夫なのか」と疑問視されることもあったのだと小川さんは話します。
小川さん:『いろいろな声がありましたが、最終的には出原さんが「やってみたら」と、現場に任せてくれました。昨年ようやくユーズドデニムの販売を開始したんですが、思っていた以上に売れ行きがいいんです。地道にやり続けてよかったと思うと同時に、協力してくれた地元の人々には本当に感謝しています。尾道は、人ありきでさまざまなことが混ざり合って動く街。港町として栄えていた頃の空気感が今にも根付いていて、新しいことも面白がってくれる受け皿があるから、私も楽しめているんだと思います』
制作されたデニムは尾道市内のショップだけでなく、彼女が担当する尾道自由大学などで出会った人との繋がりでできた日本各地をまわる「ONOMICHI DENIM CARAVAN」でも販売されるそう。対面販売でデニムを売ることで、ストーリーのあるデニムの魅力と共に、尾道という街や人の魅力も伝えようとしています。
さまざまな働き方によって生まれた、加工では出せない色落ちやダメージが魅力のONOMICHI DENIM。
すべてが一点もの。
プロジェクトの連携が、事業性を生み出す鍵。
ディスカバーリンクせとうちは今年で丸3年。同社がこれまで大切にしてきたのは、尾道デニムプロジェクトのようにすぐに利益が出なくても、街への注目度が上がることで「街と街の産業のためになるのか」ということ。また、前編のONOMICHI U2の紹介でも書きましたが、県の公募でいい倉庫物件が出たときに、好機を逃さずにリスクを背負ってチャレンジを続けてきたこと。展開しているたくさんのプロジェクトは、「最初からすべてが順序立てて行われてきたものではなく、タイミングを逃さずに動くことで次々と生まれてきた」と、出原さんは言います。そしてこれからの1〜2年で目指すのは、これまでの姿勢をブラさないまま、いま手がけているプロジェクトの事業性を高めていくことだそう。
出原さん:『新しいスタッフも入って会社が大きくなってきたので、これからの1〜2年は、いま手がけている事業としっかり向き合って事業性を高めていかなければいけないタイミングです。そのためには、たとえば「せとうち 湊のやど」に宿泊されたお客さんが足を伸ばして「鞆 肥後屋」に立ち寄ってくれたり、尾道自由大学とONOMICHI U2がコラボレーションして新しいプロジェクトを行うなど、それぞれの事業間の連携を上手くとっていくことが大切だと考えています』
今年の1月には、尾道市役所近くの海沿いにシェアフロア「ONOMICHI SHARE」をオープンしたディスカバーリンクせとうち。ここはシェアオフィスとして使えるだけでなく、サイクリングやクルージング体験など、尾道ならではのアクティビティを提供する場にもなっています。
ディスカバーリンクせとうちの最新プロジェクト、ONOMICHI SHARE。
出原さん:『ONOMICHI SHAREは、僕たちのプロジェクトを繋ぐハブとしても機能するのではないかと思っています。ここでの出会いから、若手スタッフが活躍する場も生まれるかもしれませんね』
志ある民間企業を、行政がサポートする体勢を築きたい。
今年の4月、広島県の県議員議員に就任した出原さん。ディスカバーリンクせとうちが事業性を高めようとしているこのタイミングで出馬することには、少し迷いもあったのだと言います。
出原さん:『ディスカバーリンクせとうちは設立からこれまで、リスクを背負ってまちづくりのための事業を展開してきました。本来ならばNPOの活動なんですが、続けるためには利益を出す必要があったので株式会社にしました。ただ、そのときには行政もリスクを持ってサポートしてくれないと志ある民間企業が事業を続けられないという課題があるとも感じていました。ディスカバーリンクとしては、事業性を高めていく大事な時期。本来であればそちらに専念すべきで、議員になるべきタイミングではないのかもしれませんが、自分が議員になることで、行政と民間の橋渡しができればと思ってチャレンジすることにしたんです』
尾道から今治までをつなぐ「しまなみ海道」は、6つの島を経由する。
写真は尾道から渡船に乗って渡った向島から見た、因島大橋の景色。
選挙で広島各地をまわり、いろいろな人と話をする機会を得たことで、改めて、街の人々の「実際の声」を知ることの大切さに気付いたと出原さんは言います。創設から3年となるディスカバーリンクも、これまでは事業の立ち上げに注力してきましたが、これからは、地域の人々とより深く関わることで活動の幅が広がると感じているそうです。ご自身の繊維関係の会社ディーフィールドと、街の観光業を行うディスカバーリンクせとうち、そして、県議会議員という3つの団体に所属することで、その活動は深みを増すのではないでしょうか。
出原さん:『産地に生まれたからこそ行っているディーフィールドの繊維の仕事と、街のこれからを考えて行うディスカバーリンクせとうちの仕事。ときどき、自分がいま、どちらのための仕事をしているのかわからなくなることがあります。それは両方が、街のために行っている事業だからだと思うんですよね。さらに県議会議員の仕事が加わることで、民間の必要な情報をスピーディに渡すなど、それぞれをより生かし合うことができる。その連携によって、街のためにできることの幅が広がると期待しています』
最後に、出原さんが考える、まちづくりにおいて大切なことは何かと聞いてみました。
出原さん:『自分たちが思う「街のためになること」を一つひとつ行っていくことが重要だと思います。他の地域に暮らす人たちから見たら、尾道の魅力はサイクリングだと言うかもしれません。でもここで暮らしている僕たちは、伝統産業やデニム産業、景色やおいしい料理など、地元ならではの魅力を知っています。その魅力を未来に繋げるために、利益第一ではなくとも「街のためになること」を第一に考えながら、必要なことを行って行きたいと思っています。民間と行政が共に未来のためのリスクを背負いながら、「街のため」に動くことが、まちづくりには大切なのではないでしょうか』
千光寺公園の近くから眺めた尾道の夜景。対岸にあるのが向島。
会社を経営する以上、利益を出すことは大切です。しかし、永続的なまちづくりをするためには短期的な利益の追求ではなく、「街のために何をすべきか」を考えることがポイント。設立からこれまで、その選択をブレずに優先してきたからこそ、ディスカバーリンクせとうちの今があるのだと思います。ディスカバーリンクせとうち内の連携はもちろん、出原さんご自身の3つの仕事が上手に連携をとることで、尾道・鞆の浦をはじめとする瀬戸内地方ががこれからどう盛り上がっていくのか、楽しみです。
(写真:森嶋一也、編集:松尾 仁、文:宗円明子)
ディスカバーリンクせとうち
広島県尾道市久保1−2−23 TEL:0848-38-1138
http://www.dlsetouchi.com/鞆 肥後屋
広島県福山市鞆町鞆595 TEL:084-970-5780
営業時間:10:00〜17:00 定休日:水曜日
http://tomohigoya.com/せとうち 湊のやど
広島県尾道市久保1-2-24 TEL:0848-38-1007
http://minatonoyado.jp/ONOMICHI SHARE
広島県尾道市土堂2-10-24 TEL:0848-38-2911
http://onomichi-share.com/ONOMICHI DENIM SHOP
広島県尾道市久保1-2-23 TEL:0848-37-0398
営業時間:11:00〜19:00 定休日:火・水曜日
http://www.onomichidenim.com尾道自由大学
広島県尾道市東土堂町11-5 TEL:0848-38-1137
http://onomichi-freedom-univ.com/